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2013年12月20日 (金)

新老人の思想 ①  五木寛之 

  つい先週、新聞の広告記事に惹かれて書店で求めた新刊である。

このところ高齢者に関する本を集中して読んでいる。自分もその高齢者の一人だが、意識の疎通もできないような寝たきり老人に相当額の介護費用がつぎ込まれている現状を見て、なんとかならないものかと、漠然と考えたりしていた。誰もがなんとなくそんな思いを抱きながらも、人の命にかかわることなので批判を恐れて思い切って言い出せない。そんな社会状況のなか、歯に衣着せぬ突っ込んだ考え方には相当部分で賛同できるものがある。

表紙の言葉から ――もう甘えるわけにはいかない――

 日本は今、とんでもない超・老人大国に突入しようとしている。長寿がお荷物にすらなるこの世の中で、かつての老人像とまったく違う<新老人>の思想が必要なのだ。それは未来に不安と絶望を抱きながらも、体力、気力、能力は衰えず、アナーキーな思想をもった新しいタイプの老人たちである。彼らに牽引され、日本人は老後の生き方の大転換を迫られている。「若年層に頼らない」「相互扶助は同世代で」「単独死を悲劇としない」等、老人会級の自立と独立を説いた衝撃の思想。

経済大国から老人大国へ 

 <本の書き出しがうまい!>

10 とんでもないことになってきている。

この国がである。私たちの住んでいる日本列島がである。

バブルの崩壊とか、ハイパーインフレの襲来とか、そんなわかりやすい問題ではない。景気の変動ぐらいなら、百年に一度の、とか、二百年に一度の、とかいっていればよい。だが、いま私たちが直面しているのは、千年に一度の体験なのだ。いや、二千年に一度の大変動かもしれない。

 有史以来の、と、いってもまちがいではないだろう。だから、とんでもないことになってきた、といっているのだ。

「オオカミがくるぞ。もうすぐ山からオオカミがやってくるぞ」という話は、もう聞きあきた。しかし、いま私がいっているのは、明日のことではない。

 いまオオカミは、私たちの前後左右をとりまいているのだ。すでにきてしまって、私たちはその怪物の鼻息さえ感じる場所にいる。鋭い牙や、赤い舌も目の前にある。

 しかし、それにもかかわらず、私たちはオオカミの姿を直視しようとはしない。

「またオオカミの話しか」 と、軽く聞き流すだけだ。

そのオオカミとは何か。<超・老人大国の現実。というのがそれである。

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(あと3回くらい続きますが、途中にクリスマス関係の記事が入りますので、次は26日掲載を予定しています)

ホームページはこちらです http://homepage2.nifty.com/donky/

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